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「いき」の第二の徴表は「意気」すなわち「意気地」である。意識現象としての存在様態である「いき」のうちには、江戸文化の道徳的理想が鮮やかに反映されている。江戸児えどっこの気概が契機として含まれている。野暮と化物とは箱根より東に住まぬことを「生粋きっすい」の江戸児は誇りとした。「江戸の花」には、命をも惜しまない町火消まちびけし、鳶者とびのものは寒中でも白足袋しろたびはだし、法被はっぴ一枚の「男伊達おとこだて」を尚とうとんだ。「いき」には、「江戸の意気張り」「辰巳たつみの侠骨きょうこつ」がなければならない。「いなせ」「いさみ」「伝法でんぽう」などに共通な犯すべからざる気品・気格がなければならない。「野暮は垣根の外がまへ、三千楼の色競くらべ、意気地いきじくらべや張競べ」というように、「いき」は媚態でありながらなお異性に対して一種の反抗を示す強味をもった意識である。「鉢巻の江戸紫」に「粋いきなゆかり」を象徴する助六すけろくは「若い者、間近く寄つてしやつつらを拝み奉れ、やい」といって喧嘩を売る助六であった。「映らふ色やくれなゐの薄花桜」と歌われた三浦屋の揚巻あげまきも髭ひげの意休いきゅうに対して「慮外ながら揚巻で御座んす。暗がりで見ても助六さんとお前、取違へてよいものか」という思い切った気概を示した。「色と意気地を立てぬいて、気立きだてが粋すいで」とはこの事である。かくして高尾たかおも小紫こむらさきも出た。「いき」のうちには溌剌はつらつとして武士道の理想が生きている。「武士は食わねど高楊枝たかようじ」の心が、やがて江戸者の「宵越よいごしの銭ぜにを持たぬ」誇りとなり、更にまた「蹴けころ」「不見転みずてん」を卑いやしむ凛乎りんこたる意気となったのである。「傾城けいせいは金でかふものにあらず、意気地にかゆるものとこころへべし」とは廓くるわの掟おきてであった。「金銀は卑しきものとて手にも触れず、仮初かりそめにも物の直段ねだんを知らず、泣言なきごとを言はず、まことに公家大名くげだいみょうの息女そくじょの如し」とは江戸の太夫たゆうの讃美であった。「五丁町ごちょうまちの辱はじなり、吉原よしわらの名折れなり」という動機の下もとに、吉原の遊女は「野暮な大尽だいじんなどは幾度もはねつけ」たのである。「とんと落ちなば名は立たん、どこの女郎衆じょろしゅの下紐したひもを結ぶの神の下心」によって女郎は心中立しんじゅうだてをしたのである。理想主義の生んだ「意気地」によって媚態が霊化されていることが「いき」の特色である。
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