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抽斎の校勘の業はこの頃着々進陟しんちょくしていたらしい。森枳園が明治十八年に書いた『経籍訪古志』の跋ばつに、緑汀会りょくていかいの事を記しるして、三十年前だといってある。緑汀とは多紀※(「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2-86-13)庭たきさいていが本所緑町の別荘である。※(「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2-86-13)庭は毎月まいげつ一、二次、抽斎、枳園、柏軒、舟庵、海保漁村らを此ここに集つどえた。諸子は環坐して古本こほんを披閲し、これが論定をなした。会の後のちには宴を開いた。さて二州橋上酔にしゅうきょうじょうえいに乗じて月を踏み、詩を詠じて帰ったというのである。同じ書に、※(「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2-86-13)庭がこの年安政二年より一年の後に書いた跋があって、諸子※(「褒」の「保」に代えて「臾-人」、第4水準2-88-19)録ほうろく惟これ勤め、各部頓とみに成るといってあるのを見れば、論定に継ぐに編述を以てしたのも、また当時の事であったと見える。
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