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何故に親が大急ぎで、牙の生えた赤子を殺戮さつりくせねばならなかったかは、じつは必ずしも明瞭ではない。家の外聞とか恥とかいうのも条理に合わなかった。殺してこれを清める望みはなかったのみならず、匿かくし終おせた場合さえ少なかった。しからば活いかして置いて何が悪いかと尋ねてみると、これまた格別のことはなかったのである。兇暴きょうぼう無類の評ある大江山の酒顛童子、その子分か義兄弟のごとく考えられた茨木童子なども、単に今まで見ず知らずの他人に対して残忍であったというのみで、翻ひるがえってその家庭生活を検すれば、思いのほかなるものがあった。『越後名寄えちごなよせ』巻三十三その他の所伝によれば、酒顛童子はこの国西蒲原郡砂子塚いさこづか、または西川桜林村の出身と称しておのおのその旧宅の址あとがあった。附近の和納わのうという村にも後に引越してきたといって今なお榎の老木ある童子屋敷、下名さげなを童子田どうじたと呼ぶ水田もあった。童子幼名を外道丸と名づけられ美童であった。父の名は否瀬善次兵衛俊兼、戸隠山九頭竜権現くずりゅうごんげんの申し児であって、母の胎内に十六箇月いたというだけが、親に迷惑をかけたといえばかけたのである。和納の楞厳寺りょうごんじで文字を習い、国上くがみの寺に上って侍童となるまでは不良少年でも何でもなかった。茨木童子の故郷も摂津にある方が正しいのかも知れぬが、これまた越後にも一箇処あって、今の古志こし郡荷頃にごろ村大字軽井沢、茨木善次右衛門はその生家と称し、連綿として若干の記憶を伝えていた。例えば家の背後に童子が栖すんだという岩屋、それは崩れてその跡に清き泉湧わき、流の末には十坪ばかりの空地あって、童子出生の地と称して永く耕作をさせなかった。悪人に対する記念ではなかったのである。
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