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森枳園きえんが小野富穀おのふこくと口論をしたという話があって、その年月を詳つまびらかにせぬが、わたくしは多分この年の頃であろうと思う。場所は山城河岸やましろがしの津藤つとうの家であった。例の如く文人、画師えし、力士、俳優、幇間ほうかん、芸妓げいぎ等の大一座で、酒酣たけなわなる比ころになった。その中に枳園、富穀、矢島優善やすよし、伊沢徳安とくあんなどが居合せた。初め枳園と富穀とは何事をか論じていたが、万事を茶にして世を渡る枳園が、どうしたわけか大いに怒いかって、七代目賽もどきのたんかを切り、胖大漢はんだいかんの富穀をして色を失って席を遁のがれしめたそうである。富穀もまた滑稽こっけい趣味においては枳園に劣らぬ人物で、臍へそで烟草タバコを喫のむという隠芸かくしげいを有していた。枳園とこの人とがかくまで激烈に衝突しようとは、誰たれも思い掛かけぬので、優善、徳安の二人は永くこの喧嘩けんかを忘れずにいた。想うに貨殖かしょくに長じた富穀と、人の物と我物との別に重きを置かぬ、無頓着むとんじゃくな枳園とは、その性格に相容あいいれざる所があったであろう。津藤つとう即ち摂津国屋つのくにや藤次郎とうじろうは、名は鱗りん、字は冷和れいわ、香以こうい、鯉角りかく、梅阿弥ばいあみ等と号した。その豪遊を肆ほしいままにして家産を蕩尽とうじんしたのは、世の知る所である。文政五年生うまれで、当時四十歳である。
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